男の肖像

男の肖像身体美学講座 Fhysical Aesthetics

岩崎弥太郎

2016年7月1日

晩年の肖像

日本を代表する経営者といえば?。
松下幸之助や本田宗一郎が双璧か。

少なくとも岩崎弥太郎ではないだろう。
むしろ知らない人も多いのではないか。
冒頭の二人は昭和の人だが、弥太郎は明治の人。
世代的には維新の人といった方が的確か。

しかし時代が古いことがその理由とも思えない。
同時代には知名度の高い人物が多いからだ。
坂本龍馬や西郷隆盛その他多くを輩出。
近代最大級の変革の時代だっただけに。

弥太郎も時代に大きく貢献した一人。
貢献度の大きさは明治の元勲たちにも負けない。
だが彼が元勲と呼ばれることはない。
政治家ではないからであろう。

彼自身は政治家を志していた。
維新の志士の一人だったが志叶わず。
商才を発揮したが故に、政治より商才を期待された。
結局政界を断念し、期待に応えることになる。

結果的にそれが正解だった。
期待などはるかに通りこして商才爆発。
新参のベンチャー企業が驚異の急成長。
国内最大級の三菱財閥の礎を築いた。

その間わずか十年ほど。
今時のIT企業なら爆発的成長も珍しくない。
当時はまだ近代的産業の草創期。
時代が動くときは今も昔も早いということだ。

主要な産業を横断的に担い、富国強兵を推進。
元勲たちとは違う形で国を支えることになる。
ただ彼自身は起業から12年後に病没。
されど亡き後も優秀な人材豊富で発展を続ける。

富国強兵を支える役割は太平洋戦争終結まで続く。
戦後はGHQによる財閥解体で骨抜きにされる。
しかし個々の企業はその後の経済成長で再び発展。
主要な産業はもとより、防衛産業も再び担う。
三菱の威光、弥太郎の遺伝子は今なお健在。

それでも弥太郎が歴史に登場する機会は少ない。
経済史でもない限り。故に知らない人も多い。
だが三菱を知らない人はいない。
三菱及びその商標が彼の分身、代名詞とも言える。

松下も本田もエリートではなかった。
弥太郎もまた出自は下級武士、名門の反対。
学業が優秀だったことからチャンスを掴んでいく。
事業に成功してからは華族をしのぐ栄華を極める。
やはり家柄、血すじより本人の才覚だ。

織田信長は楽市楽座で商業を発展させた。
弥太郎は近代的商業の原型を創り上げた。
その影響は三菱を超えて広がっている。
今なお広く社会で息づいている。
おそらく多くの人は弥太郎の精神とは知らずに。

当の三菱は再び国家的事業をおし進めている。
ロケットや航空機産業などの巨大プロジェクトで。
ただ最近、悪いニュースが続発。
特に自動車では大きく威光を傷つけた。

日本の恥ではなく、誇りになってほしい。
過去の栄光は忘れて、新たな栄光を築いてほしい。
スリーダイヤがダイヤの輝きとなるよう。

土光敏夫

2016年1月1日

晩年の肖像

氏は起業家ではなく、サラリーマンだった。
一介の技術者として企業に勤めていた。
ただ並みの技術者ではなかった。
初の国産発電用タービンを開発完成させている。

きわめて優秀なため、部課の責任者になっていく。
知見高く人格高邁、行動力抜群でやがて社長になる。
以降は経営者としての手腕を発揮していく。

次に経営危機に陥った親会社の再建をまかされる。
経営者としても非凡さを見せていたからだ。
見事に再建を成功させ、さらに発展させていく。
それが重工業の名門、現IHI(旧石川島播磨重工業)だ。

その手腕を買われ、別会社の再建も任される。
当時経営不振に陥っていた東芝だ。
同社は畑違いだが、合理化断行して再建果たす。

最初は技術者として産業の発展に貢献。
発電の基礎技術を確立しただからだ。
経営者としては造船会社を再建、発展させた。
東芝もしかり、どれも国を支える基幹産業だ。

もともと野心家だった訳ではない。
経営者になったのも能力を買われてのこと。
東芝の会長退いたら隠居するつもりだった。
鬼のように仕事に明け暮れた人生だっただけに。
余生はのんびり農業するのが夢だった。

だがまたも社会が時代が氏を求めた。
財界の総理、経団連会長に請われた。
これ以上ふさわしい人物はいないが財界の総意。
熱望に断りきれず?、77歳で引き受ける。

引き受けた以上は仕事の鬼に戻る。
経団連もまた改革を断行していく。
夜料亭での政治家との折衝、宴会を拒否。
すべて朝食会にきりかえた。
朝は予定のない首脳が多く、出席率が向上。
会合の効率が格段に上がったという。

同会長を6年勤め、83才で退任する。
今度こそのんびり余生を過ごせる。
のはずが今度は国が氏を求めた。

政府が臨時行政調査会の会長就任を依頼してきた。
働きづめの人生からもう解放して欲しかっただろう。
当然固辞する。だが政府も執拗に懇願してきた。

国の未来を左右する難題を抱えていたからだ。
その任務を担えるのは氏しかいない。
財界の巨人にすがるしかなかった。

そこで彼は証文を書いて鈴木首相に突きつけた。
この内容を約束するなら引き受けると。
それは不可能と思える厳しい条件だった。
これで断念するだろうと考えてのことだった。

ところが予想に反して首相が承諾した。
首相も決死の覚悟を示した以上断れない。
84才にして生涯最大の仕事に挑むことになった。

国の借金が百兆円の大台に迫っていた。
財政再建という誰も成しえない難事業を任された。
最大の難物が国鉄、毎年巨額の赤字を重ねていた。
解体、民営化するしかないと迫る。

巨大組織だけに激しい抵抗運動が燃え上がる。
政治家でもない80代後半の老人に護衛もついた。
反対する族議員も多く、与党も一枚岩ではない。

政治家を当てにしても埒があかない。
そこで経済界に支援を求めた。
個人的な縁があったホンダの本田宗一郎が動いた。
本田と親交のあったソニー創業者の井深大も賛同。
戦後生まれの二大企業が全面支援。
支援の輪が広がり、国民的運動に発展した。

結果ついに国鉄陥落、民営化が実現する。
さらに電信電話公社、専売公社も民営化していく。
国鉄がJR各社、電信〜がNTT各社、専売〜がJTと。

偉業を達成してついに隠居が実現、がそのとき89才。
足腰も弱り、車椅子が欠かせなくなった。
のんびり農業のささやかな夢はついに叶わなかった。
ただし休日に家庭菜園はしていた。

その偉業は日本を救ったと言える。
国鉄が存続していたらと考えると空恐ろしい。
氏の生涯は一貫して基幹産業や国の命運を担った。

しかし自ら望んで担った訳ではない。
元々は技術者志望、大役など望んでいない。
氏ならできる、氏にしかできない。
と人に思わせる圧倒的力量、人望故だ。

荒法師や、土光ならぬ怒号敏夫などの異名もあった。
信念を通すためには荒々しくもなるからだ。
頑固一徹なれど、独善の罠にもはまらない。

すごいのは能力だけでない。
高い地位についても贅沢は一切しなかった。
専用車で重役出勤など一切なし。

朝早くバスから電車に乗り継いで出勤していた。
晩年の経団連会長時代も変わらず。
出張も秘書をつけず、一人で日帰りを常とした。
氏以前は出張先で接待受け、宿泊するのが慣習だった。
接待や宴会は基本断った。

きわめつけは宮中晩餐会の欠席。
エリザベス英女王来日時の晩餐会に招かれた。
英女王来日は最初で最後、歴史的晩餐会だ。
だが高齢すぎるからと断った。
以降宴会を断ってもすぐ納得されたという。

公務だけでなく、私生活もまったく同じ。
こんな話もある。
某記者は取材で土光宅に向かうも家が見つからない。
該当しそうな場所には、小さな民家があるだけ。
こんなあばら家が土光邸のはずがない。
庭に女性がいたので聞いたみた。
「土光さんの家を知りませんか。」
すると「ここですけど。」

女性は質素な身なりで、庭の野菜を収穫していた。
だから家政婦さんだろうと想像。
実は土光夫人だった。記者は二度驚いたという話。
野菜はほとんど敷地の菜園で自給自足していた。
食事も自給の食材中心の質素な内容だった。

されど倹約して蓄財をした訳でもない。
地位相応の収入も、自分にためには使わなかった。
大半を母親が創立した女学校に寄付していた。

今の日本、日本人は氏の功績の恩恵を受けている。
しかしその精神に学んだと言えるだろうか。
恩恵に気づいていない日本人が多いと感じる。
国の借金は三十年の間に当時の十倍に膨れ上がった。

享楽や飽食を豊かさと考える日本人が多い?。
富を築いた起業家の方が高く評価されると感じる。
企業の不正もあとを絶たない。
氏に救われた東芝は、再び迷走している。

氏の功績、精神を忘れた日本に未来はない?。
筆者も畏敬の念深く、異例の長文になった次第。
これでも精一杯短くした結果だ。

と言いつつ最後にもう一つ。
スティーブ・ジョブズは氏とかなり共通点がある。
アップルに役員として復帰するや早々に主導権掌握。
旧経営陣を一掃、破壊的な改革を断行する。

彼も金に執着なく、当時年棒わずか1ドルだった。
彼にはすでに資産があったが、自宅は豪邸ではない。
誰にも有無を言わせぬ実行力で同社の危機を救う。
十数年後には時価総額、ブランド力世界一に育てた。

本田宗一郎

2015年2月20日

ホンダを一代で世界的企業に育てあげた起業家。
戦後生まれの企業の成功物語としては最大級。
同じく戦後生まれのソニーと双璧をなす。

全盛期の肖像

ソニーの場合、カリスマ的リーダーが二人存在した。
ホンダも優秀なパートナーが脇を固めていた。
しかしカリスマはあくまで宗一郎一人。
戦後を代表する企業家だと言える。

彼はたたき上げの技術者。
松下幸之助と同じで高学歴ではない。
頑固一徹の職人的な気質だった。

社長になっても作業着で現場に立つのが常。
頑固なだけでなく、言動も荒っぽかった。
腕白な少年がそのまま大人になったかのように。

全盛期の肖像

部下に対して罵声はもとより、しばしば手も出た。
お世辞にも紳士的とは言えない。
当然恐れられる存在だった。

されど憎まれることは少なかった。
怖いけど憎めない存在。
親しみを込めて親父と呼ばれていた。

暴力的でも慕われる。彼の真骨頂かも知れない。
その点は荒法師と言われた土光敏夫氏と似ている。
(ただし土光氏は非暴力だった。)
土光氏も特筆すべき起業家、財界人だ。

ホンダは人々に夢を与えた。
優れた製品を生み出すと同時に、レースでも活躍。
2輪でも4輪でも世界の最高峰に立った。

アイルトン・セナの伝説もホンダと一体だ。
彼はF1で3度ワールドチャンピオンに輝く。
3度ともエンジンはホンダだった。
セナ伝説=ホンダのレース史の頂点。

セナは宗一郎に直接祝福されたことがある。
満面の笑顔で「いいエンジン作るよ」と。
セナは感激のあまり、感涙にむせんでいた。
親父の慈愛、カリスマ性のなせるわざであろう。

彼は名言も多く残している。
叩き上げだけに、実体験から学んだ教訓に満ちている。
彼自身は名言通り生きたから成功した。
と思われがちだが、現実は違う。

長所と短所、強みと弱みは表裏一体で紙一重。
頑固さは一歩間違えばただの独善。
常に自分を客観視する余裕がないと、暴走しやすい。
彼もまたその罠から逃れきれなかった。
破滅目前まで暴走したこともある。

それでも土壇場で危機を回避する。
そうして多くの困難を克服してきたから今がある。
そのとき彼を、ホンダを支えたのは優秀な社員たち。
彼らなくしてホンダはありえない。
彼らをまとめたのが宗一郎のカリスマ性であろう。

松下幸之助

全盛期の肖像

2015年2月20日

日本を代表する企業家の一人。
経営の神様の異名が固有名詞として定着している。
神様といえば彼なのである。

一代で世界的企業を築き上げた。
実績を見れば誰もがパワフルな人物を想像するだろう。
下の若きの日の画像も、普通に健康な青年に見える。

全盛期の肖像 全盛期の肖像

ところがまったく体力のない虚弱体質だった。
常態が半病人だったと言って過言でない。
つまり健常者とは言えない障害者に近い水準だった。

虚弱は血筋で兄弟多かったが、大半が若死にしている。
彼自身も中年までは生きられないと見られていた。
だから健常者と同じようには仕事できなかった。

十代から7年間電気工事の仕事に携わる。
連日の肉体労働に耐えられず、2〜3日働いては1日休養。
それが精一杯のローテーションだった。
虚弱ぶりも大成功者としては稀有な特徴である。

しかも戦前は日本人全体の平均寿命が極めて短かった。
ところが激動の戦中戦後を迎えた時、すでに壮年期。
青年時代の医者の見立てではすでに故人となる年齢。
現実は意気軒昂で会社は益々発展、高度成長期を迎える。
世界的な家電王国を築き、基幹産業の一翼を担う。

パワフルな人物でも早死にする例は珍しくない。
天才スティーブ・ジョブズも五十代で病没した。
超虚弱な彼がなぜ94才まで生きられたのか。
現代の平均寿命も大幅に上回る。

おそらく虚弱だからこそ、常に細心の健康管理していた。
無茶をすればたちまち、体が悲鳴をあげる。
常に体と対話し、向き合っていたと想像できる。
たゆまない自己管理の賜物、と考えるのが自然だろう。
美学の立場からも彼の生活は興味深い。

恵まれなかったのは健康だけではない。
経歴もエリートの対極と言えるたたき上げ。
最低限の義務教育すら修了していない。
家が破産して幼くして丁稚奉公に出されたためだ。
今なら中卒以下ということになる。

起業も吹けば飛ぶような家内手工業的水準。
そこから一代で世界的企業に発展させた。
すなわち20世紀を代表する世界的経営者の一人。
画像にあるように米タイム誌の表紙にもなっている。
経営の神様と言われる所以だ。

彼亡き後の同社は順風満帆ではない。
近年の経済構造の激変に、対応仕切れていない。
彼の姓を冠した社名も消え、英語名に変わった。

かつては業界随一のブランド力を誇っていた。
値引き幅の少ないメーカーの代表だった。
そのブランド力ももはや有名無実。
世界でも国内でも苦戦が続いている。

一方同じ基幹産業、自動車業界は今も栄華続く。
トヨタは日本を代表する企業であり、世界一でもある。
精彩を欠く家電業界とは対照的。

カリスマ経営者が育てた松下電器。
新生パナソニックにカリスマはいない。
はたして往年の栄光を取り戻せるのか。
同社の奮起を期待したい。

アイルトン・セナ

哀愁の表情

2014年7月5日

モータースポーツの最高峰、といえばF1。
F1のステータスを語る常套句として定着している。
F1開催は先進国、一流国の証明。
事実上その目安の一つになっている。
近年新興国の招致がさかんで、開催数が増えている。

F1はレーサーにとっても夢の舞台。
飛び抜けた実力と運がなければ立てない。
年間王者になれば世界的有名人、ヒーローになる。
名声も収入も最高峰だ。

60年余の歴史の中で幾多の名ドライバーを輩出。
戦績を見るとミハエル・シューマッハがダントツ。
通算91勝は2位アラン・プロストの51勝をはるかに上回る。
ドライバーズチャンピオン7回も史上最多。
史上最も長く安定した王者であった。

ただし実力は数字だけでは計れない。
セナは勝利数41勝、チャンピオン3度。
プロストの51勝、4度にも及ばない。
だが史上最高(最速)のドライバーと評価されている。

レース中の事故で夭折、伝説になったからではない。
生きていても間違いなく伝説になったであろう。
勝負の世界はドラマチックであるのが当たり前。
彼はさらに神がかり的なパファーマンスを見せた。
技術論では説明がつかないような。

セナはF1デビューから4年目で名門マクラーレンに移籍。
同年からホンダと組んだ同チームは黄金時代を築く。
ドライバーは新鋭のセナと、当時屈指の実力者プロスト。
エースは当然プロストである。

しかし若き天才セナはプロストを抑えてチャンピオンに。
特にポールポジションは16戦中13回獲得。
エースのプロストを圧倒した。

その結果プロストは強い疑念を抱くようになる。
ホンダはセナの車に自分よりいいエンジンをのせている。
彼としては他に理由が考えられなかったのだろう。
やがて疑念は確信となり、ついには公言してしまう。

もちろんそんな事実はなかった。
いいがかりをつけられたホンダは供給停止を通告。
非を悟ったプロストがホンダに謝罪する顛末となった。
プロフェッサーの異名持つ彼に妄想を抱かせたのだ。

セナはレース後「神を見た」、と語ったことがある。
だが人々は疑念を持たないであろう。
彼ならありうるだろうと。
神がかり的なレースを見せられているだけに。

現在のトップドライバーたちも同じ。
アロンソやハミルトンは明言している。
「自分のヒーローはセナ」だと。

世代の近いシューマッハの強さ見ているはずだが。
シューマッハは記録に残る王者。
セナは記憶に残る王者。鮮烈なレースが鮮明に。

上の画像は彼の個性を端的に表している。
憂いを湛えた瞳で、遠くを見つめる。
詩的に表現すれば、哀愁の戦士。

哀愁を感じさせる表情、画像が非常に多い。
悲劇的な運命を予感しているかのように。
それが悲しいくらい絵になっている。

しかし彼の価値はあくまでレースにある。
日本の実況アナが鬼神の走りと表現していた。
素顔の彼はシャイで涙もろく、ラテンぽくない。
だが一度レースになると鬼神と化す。