フランシス・コッポラ - 男の肖像

男の肖像身体美学講座 Fhysical Aesthetics

フランシス・コッポラ

中年の頃 近影正面

2014年1月1日

映画監督、実業家として世界的名声、業績を誇る。
特に代表作「ゴッドファーザー」は世紀の名画の一つ。
しかし製作当時彼は無名に近い若き監督だった。
しかもまだ新進気鋭というほどの実績もなかった。

ではなぜ世紀の名画をとることになったのか。
同作がマフィア、つまりギャング映画だったからだ。
故に当時の一流監督たちはオファーを拒否した。
やむなくコッポラに廻ってきたという訳。

そんな彼がなぜ名画に仕上げることができたのか。
彼は黒澤明監督の大ファンで、深く感化されていた。
その影響が大きく貢献している。
それなくしてありえないほどに。

絵画の要素、美しい構図の映像が随所に表れる。
映像美が並のギャング映画ではない重厚感、品格を感じさせる。
その上にダイナミックな活劇も展開される。
芸術性と派手な娯楽性が見る者を映像世界に引き込む。
その基本形は黒澤映画そのものといっても過言ではない。

同作は大ヒットし、賞も取る。
続編のパート2も製作され、いっそう高い評価を得る。
最初の主役、マーロン・ブランドは晩年にして生涯最高の役となる。
彼の存在感が名画に値する品格を生んでいる。
黒澤作品における三船敏郎を彷彿させる。

しかし最初から世紀の名画と評価された訳ではない。
時を経るほどに評価が高まるという経過をたどる。
その結果長い月日を経てからパート3も製作される。
さすがに3作目はシリーズの評価を上げることはなかった。
実質的な世紀の名画は前2作と言えそうだ。

彼自身もイタリア系、それも有利に働いたかも知れない。
マフィアではなくても血と文化の根が同じだけに。

当時若かっただけに、その後も幾多の作品を残している。
だがゴッド〜の評価を超える作品はない。
厳しくいえばゴッド〜を超えられなかった。

他にもギャング映画(コットンクラブ)はあるが並の評価。
ゴッド〜が突出しすぎているからだろうか。
多くの作品が評価されている黒澤と違う点だ。

作品の当たり外れも激しい。
人生の浮き沈みも激しく、ゴッド〜以降何度も破産している。
だが晩年になってワインの製造販売で成功。
実業家として大きな花を咲かせている。

本業は芸術家なのか、実業家なのか。
これまた芸術一辺倒だった黒澤と違う点だ。
何であれ両方の世界で成功しているのは天晴れ。
これ以上幸福な男の人生はないであろう。

因に最初の画像に映っている女性は娘のソフィア。
ゴッド〜の中にこんなセリフがある。
「家族を持たない奴は大物になれない。」
家族の絆を重視するのはイタリアの血だろうか。