男の肖像身体美学講座 Fhysical Aesthetics

アイルトン・セナ

哀愁の表情

2014年7月5日

モータースポーツの最高峰、といえばF1。
F1のステータスを語る常套句として定着している。
F1開催は先進国、一流国の証明。
事実上その目安の一つになっている。
近年新興国の招致がさかんで、開催数が増えている。

F1はレーサーにとっても夢の舞台。
飛び抜けた実力と運がなければ立てない。
年間王者になれば世界的有名人、ヒーローになる。
名声も収入も最高峰だ。

60年余の歴史の中で幾多の名ドライバーを輩出。
戦績を見るとミハエル・シューマッハがダントツ。
通算91勝は2位アラン・プロストの51勝をはるかに上回る。
ドライバーズチャンピオン7回も史上最多。
史上最も長く安定した王者であった。

ただし実力は数字だけでは計れない。
セナは勝利数41勝、チャンピオン3度。
プロストの51勝、4度にも及ばない。
だが史上最高(最速)のドライバーと評価されている。

レース中の事故で夭折、伝説になったからではない。
生きていても間違いなく伝説になったであろう。
勝負の世界はドラマチックであるのが当たり前。
彼はさらに神がかり的なパファーマンスを見せた。
技術論では説明がつかないような。

セナはF1デビューから4年目で名門マクラーレンに移籍。
同年からホンダと組んだ同チームは黄金時代を築く。
ドライバーは新鋭のセナと、当時屈指の実力者プロスト。
エースは当然プロストである。

しかし若き天才セナはプロストを抑えてチャンピオンに。
特にポールポジションは16戦中13回獲得。
エースのプロストを圧倒した。

その結果プロストは強い疑念を抱くようになる。
ホンダはセナの車に自分よりいいエンジンをのせている。
彼としては他に理由が考えられなかったのだろう。
やがて疑念は確信となり、ついには公言してしまう。

もちろんそんな事実はなかった。
いいがかりをつけられたホンダは供給停止を通告。
非を悟ったプロストがホンダに謝罪する顛末となった。
プロフェッサーの異名持つ彼に妄想を抱かせたのだ。

セナはレース後「神を見た」、と語ったことがある。
だが人々は疑念を持たないであろう。
彼ならありうるだろうと。
神がかり的なレースを見せられているだけに。

現在のトップドライバーたちも同じ。
アロンソやハミルトンは明言している。
「自分のヒーローはセナ」だと。

世代の近いシューマッハの強さ見ているはずだが。
シューマッハは記録に残る王者。
セナは記憶に残る王者。鮮烈なレースが鮮明に。

上の画像は彼の個性を端的に表している。
憂いを湛えた瞳で、遠くを見つめる。
詩的に表現すれば、哀愁の戦士。

哀愁を感じさせる表情、画像が非常に多い。
悲劇的な運命を予感しているかのように。
それが悲しいくらい絵になっている。

しかし彼の価値はあくまでレースにある。
日本の実況アナが鬼神の走りと表現していた。
素顔の彼はシャイで涙もろく、ラテンぽくない。
だが一度レースになると鬼神と化す。

ヘンリー・キッシンジャー

若い頃笑顔 近影

2014年4月1日

国家安全保障問題担当大統領補佐官。
氏が歴史の表舞台に登場した時の肩書きだ。
脇役的な響きを感じるが、氏は違った。

実質的には外交や国家戦略の主導的役割を担った。
米史上最強の大統領補佐官かも知れない。
抜擢したニクソン大統領は、才能に期待していた。
そして期待通りの能力を発揮する。

フォード政権に変わると、国務長官に就任。
肩書きは変わるが再び外交、国家戦略を担う。
国家戦略の中枢が本来の国務省に戻ったことになる。

知力行動力とも抜群で、人脈や情報網駆使し世界をかけまわる。
どこにいるのか、どこに表れるのか誰も追えないほどに。
その神出鬼没さから、日本では忍者外交と評された。

当時最大の懸案だったベトナム戦争終結にも奔走。
その道筋をつけた功績を買われ、ノーベル平和賞も受賞する。
二人の大統領に仕えた間、大統領顔負けの存在感発揮した。

氏と対峙した対外国の当事者にとっては最強の交渉相手。
二度と交渉したくないと感じたと想像される。
味方になれば当然頼もしい。
世界の要人との豊富な人脈を持つと言われる。
ただ日本人の名前はあまり聞こえてこない。

退任後も名声はとどまることがなかった。
講演料のギャラも破格で、世界一と言われた。
通説では食事会に出るだけでサラリーマンの年収並。
氏に並びえたのは故サッチャー元英首相だけとも。

つまり大統領経験者よりも存在感、影響力がある。
事実退任後も長く米政界に、隠然たる影響与え続けた。
一方近年の元大統領たちは、おしなべて存在感薄い。
回顧録書いても氏の回顧録には遠く及ばない。

今世紀になって米国はアフガンとイラクに侵攻した。
時のブッシュ大統領は、氏を相談役として頼っていた。
すでに高齢であっても、氏の知見に勝る者はないと。

アジアについては日本より中国に親近感抱いているようだ。
中国に対する論評の方が好意的と感じさせることが多い。
親中家ではあっても、親日家とは考えにくい。
最初に上げた大きな外交成果が米中和解だったからか。

北京五輪では開会式の会場に氏の姿があった。
招待されたのか、自発的なのかは分からない。
(マスコミは知らないのか、まったく報道していない。)
すでに高齢なだけに、中国への強い思い入れを感じさせる。

突出した才能を持つ者は、天才と言われる。
氏は外交が仕事の柱だったため外交の天才といわれた。
では具体的にどんな功績を社会に残したのか。

現代の天才といえば、スティーブ・ジョブズが名高い。
生活や産業を激変させる商品を生み出している。
ところが氏の功績を並べるのは難しい。
見方次第ではほとんどないかも知れない。

政治外交という分野の難しさでもある。
立場が違えば評価も違ってくる。
ベトナム和平も見方次第でかなり微妙。

アフガン、イラク侵攻も支持していた。
だがどちらもいまだ混迷が続き、何も解決していない。
米国の国益を追求しただけという見方もできる。
人類社会に貢献したかどうかの評価は不可能に近い。

では結局凡人とそれほど違わないのだろうか。
どう考えても凡人に同じことはできない。
しかし天才といえどもすべてを見通すことなどできない。
氏も間違い多い人間の一人だということだろう。
過小評価も過大評価も妥当でない。

フランシス・コッポラ

中年の頃 近影正面

2014年1月1日

映画監督、実業家として世界的名声、業績を誇る。
特に代表作「ゴッドファーザー」は世紀の名画の一つ。
しかし製作当時彼は無名に近い若き監督だった。
しかもまだ新進気鋭というほどの実績もなかった。

ではなぜ世紀の名画をとることになったのか。
同作がマフィア、つまりギャング映画だったからだ。
故に当時の一流監督たちはオファーを拒否した。
やむなくコッポラに廻ってきたという訳。

そんな彼がなぜ名画に仕上げることができたのか。
彼は黒澤明監督の大ファンで、深く感化されていた。
その影響が大きく貢献している。
それなくしてありえないほどに。

絵画の要素、美しい構図の映像が随所に表れる。
映像美が並のギャング映画ではない重厚感、品格を感じさせる。
その上にダイナミックな活劇も展開される。
芸術性と派手な娯楽性が見る者を映像世界に引き込む。
その基本形は黒澤映画そのものといっても過言ではない。

同作は大ヒットし、賞も取る。
続編のパート2も製作され、いっそう高い評価を得る。
最初の主役、マーロン・ブランドは晩年にして生涯最高の役となる。
彼の存在感が名画に値する品格を生んでいる。
黒澤作品における三船敏郎を彷彿させる。

しかし最初から世紀の名画と評価された訳ではない。
時を経るほどに評価が高まるという経過をたどる。
その結果長い月日を経てからパート3も製作される。
さすがに3作目はシリーズの評価を上げることはなかった。
実質的な世紀の名画は前2作と言えそうだ。

彼自身もイタリア系、それも有利に働いたかも知れない。
マフィアではなくても血と文化の根が同じだけに。

当時若かっただけに、その後も幾多の作品を残している。
だがゴッド〜の評価を超える作品はない。
厳しくいえばゴッド〜を超えられなかった。

他にもギャング映画(コットンクラブ)はあるが並の評価。
ゴッド〜が突出しすぎているからだろうか。
多くの作品が評価されている黒澤と違う点だ。

作品の当たり外れも激しい。
人生の浮き沈みも激しく、ゴッド〜以降何度も破産している。
だが晩年になってワインの製造販売で成功。
実業家として大きな花を咲かせている。

本業は芸術家なのか、実業家なのか。
これまた芸術一辺倒だった黒澤と違う点だ。
何であれ両方の世界で成功しているのは天晴れ。
これ以上幸福な男の人生はないであろう。

因に最初の画像に映っている女性は娘のソフィア。
ゴッド〜の中にこんなセリフがある。
「家族を持たない奴は大物になれない。」
家族の絆を重視するのはイタリアの血だろうか。