男の肖像身体美学講座 Fhysical Aesthetics

土光敏夫

2016年1月1日

晩年の肖像

氏は起業家ではなく、サラリーマンだった。
一介の技術者として企業に勤めていた。
ただ並みの技術者ではなかった。
初の国産発電用タービンを開発完成させている。

きわめて優秀なため、部課の責任者になっていく。
知見高く人格高邁、行動力抜群でやがて社長になる。
以降は経営者としての手腕を発揮していく。

次に経営危機に陥った親会社の再建をまかされる。
経営者としても非凡さを見せていたからだ。
見事に再建を成功させ、さらに発展させていく。
それが重工業の名門、現IHI(旧石川島播磨重工業)だ。

その手腕を買われ、別会社の再建も任される。
当時経営不振に陥っていた東芝だ。
同社は畑違いだが、合理化断行して再建果たす。

最初は技術者として産業の発展に貢献。
発電の基礎技術を確立しただからだ。
経営者としては造船会社を再建、発展させた。
東芝もしかり、どれも国を支える基幹産業だ。

もともと野心家だった訳ではない。
経営者になったのも能力を買われてのこと。
東芝の会長退いたら隠居するつもりだった。
鬼のように仕事に明け暮れた人生だっただけに。
余生はのんびり農業するのが夢だった。

だがまたも社会が時代が氏を求めた。
財界の総理、経団連会長に請われた。
これ以上ふさわしい人物はいないが財界の総意。
熱望に断りきれず?、77歳で引き受ける。

引き受けた以上は仕事の鬼に戻る。
経団連もまた改革を断行していく。
夜料亭での政治家との折衝、宴会を拒否。
すべて朝食会にきりかえた。
朝は予定のない首脳が多く、出席率が向上。
会合の効率が格段に上がったという。

同会長を6年勤め、83才で退任する。
今度こそのんびり余生を過ごせる。
のはずが今度は国が氏を求めた。

政府が臨時行政調査会の会長就任を依頼してきた。
働きづめの人生からもう解放して欲しかっただろう。
当然固辞する。だが政府も執拗に懇願してきた。

国の未来を左右する難題を抱えていたからだ。
その任務を担えるのは氏しかいない。
財界の巨人にすがるしかなかった。

そこで彼は証文を書いて鈴木首相に突きつけた。
この内容を約束するなら引き受けると。
それは不可能と思える厳しい条件だった。
これで断念するだろうと考えてのことだった。

ところが予想に反して首相が承諾した。
首相も決死の覚悟を示した以上断れない。
84才にして生涯最大の仕事に挑むことになった。

国の借金が百兆円の大台に迫っていた。
財政再建という誰も成しえない難事業を任された。
最大の難物が国鉄、毎年巨額の赤字を重ねていた。
解体、民営化するしかないと迫る。

巨大組織だけに激しい抵抗運動が燃え上がる。
政治家でもない80代後半の老人に護衛もついた。
反対する族議員も多く、与党も一枚岩ではない。

政治家を当てにしても埒があかない。
そこで経済界に支援を求めた。
個人的な縁があったホンダの本田宗一郎が動いた。
本田と親交のあったソニー創業者の井深大も賛同。
戦後生まれの二大企業が全面支援。
支援の輪が広がり、国民的運動に発展した。

結果ついに国鉄陥落、民営化が実現する。
さらに電信電話公社、専売公社も民営化していく。
国鉄がJR各社、電信〜がNTT各社、専売〜がJTと。

偉業を達成してついに隠居が実現、がそのとき89才。
足腰も弱り、車椅子が欠かせなくなった。
のんびり農業のささやかな夢はついに叶わなかった。
ただし休日に家庭菜園はしていた。

その偉業は日本を救ったと言える。
国鉄が存続していたらと考えると空恐ろしい。
氏の生涯は一貫して基幹産業や国の命運を担った。

しかし自ら望んで担った訳ではない。
元々は技術者志望、大役など望んでいない。
氏ならできる、氏にしかできない。
と人に思わせる圧倒的力量、人望故だ。

荒法師や、土光ならぬ怒号敏夫などの異名もあった。
信念を通すためには荒々しくもなるからだ。
頑固一徹なれど、独善の罠にもはまらない。

すごいのは能力だけでない。
高い地位についても贅沢は一切しなかった。
専用車で重役出勤など一切なし。

朝早くバスから電車に乗り継いで出勤していた。
晩年の経団連会長時代も変わらず。
出張も秘書をつけず、一人で日帰りを常とした。
氏以前は出張先で接待受け、宿泊するのが慣習だった。
接待や宴会は基本断った。

きわめつけは宮中晩餐会の欠席。
エリザベス英女王来日時の晩餐会に招かれた。
英女王来日は最初で最後、歴史的晩餐会だ。
だが高齢すぎるからと断った。
以降宴会を断ってもすぐ納得されたという。

公務だけでなく、私生活もまったく同じ。
こんな話もある。
某記者は取材で土光宅に向かうも家が見つからない。
該当しそうな場所には、小さな民家があるだけ。
こんなあばら家が土光邸のはずがない。
庭に女性がいたので聞いたみた。
「土光さんの家を知りませんか。」
すると「ここですけど。」

女性は質素な身なりで、庭の野菜を収穫していた。
だから家政婦さんだろうと想像。
実は土光夫人だった。記者は二度驚いたという話。
野菜はほとんど敷地の菜園で自給自足していた。
食事も自給の食材中心の質素な内容だった。

されど倹約して蓄財をした訳でもない。
地位相応の収入も、自分にためには使わなかった。
大半を母親が創立した女学校に寄付していた。

今の日本、日本人は氏の功績の恩恵を受けている。
しかしその精神に学んだと言えるだろうか。
恩恵に気づいていない日本人が多いと感じる。
国の借金は三十年の間に当時の十倍に膨れ上がった。

享楽や飽食を豊かさと考える日本人が多い?。
富を築いた起業家の方が高く評価されると感じる。
企業の不正もあとを絶たない。
氏に救われた東芝は、再び迷走している。

氏の功績、精神を忘れた日本に未来はない?。
筆者も畏敬の念深く、異例の長文になった次第。
これでも精一杯短くした結果だ。

と言いつつ最後にもう一つ。
スティーブ・ジョブズは氏とかなり共通点がある。
アップルに役員として復帰するや早々に主導権掌握。
旧経営陣を一掃、破壊的な改革を断行する。

彼も金に執着なく、当時年棒わずか1ドルだった。
彼にはすでに資産があったが、自宅は豪邸ではない。
誰にも有無を言わせぬ実行力で同社の危機を救う。
十数年後には時価総額、ブランド力世界一に育てた。

岩崎弥太郎

2016年7月1日

晩年の肖像

日本を代表する経営者といえば?。
松下幸之助や本田宗一郎が双璧か。

少なくとも岩崎弥太郎ではないだろう。
むしろ知らない人も多いのではないか。
冒頭の二人は昭和の人だが、弥太郎は明治の人。
世代的には維新の人といった方が的確か。

しかし時代が古いことがその理由とも思えない。
同時代には知名度の高い人物が多いからだ。
坂本龍馬や西郷隆盛その他多くを輩出。
近代最大級の変革の時代だっただけに。

弥太郎も時代に大きく貢献した一人。
貢献度の大きさは明治の元勲たちにも負けない。
だが彼が元勲と呼ばれることはない。
政治家ではないからであろう。

彼自身は政治家を志していた。
維新の志士の一人だったが志叶わず。
商才を発揮したが故に、政治より商才を期待された。
結局政界を断念し、期待に応えることになる。

結果的にそれが正解だった。
期待などはるかに通りこして商才爆発。
新参のベンチャー企業が驚異の急成長。
国内最大級の三菱財閥の礎を築いた。

その間わずか十年ほど。
今時のIT企業なら爆発的成長も珍しくない。
当時はまだ近代的産業の草創期。
時代が動くときは今も昔も早いということだ。

主要な産業を横断的に担い、富国強兵を推進。
元勲たちとは違う形で国を支えることになる。
ただ彼自身は起業から12年後に病没。
されど亡き後も優秀な人材豊富で発展を続ける。

富国強兵を支える役割は太平洋戦争終結まで続く。
戦後はGHQによる財閥解体で骨抜きにされる。
しかし個々の企業はその後の経済成長で再び発展。
主要な産業はもとより、防衛産業も再び担う。
三菱の威光、弥太郎の遺伝子は今なお健在。

それでも弥太郎が歴史に登場する機会は少ない。
経済史でもない限り。故に知らない人も多い。
だが三菱を知らない人はいない。
三菱及びその商標が彼の分身、代名詞とも言える。

松下も本田もエリートではなかった。
弥太郎もまた出自は下級武士、名門の反対。
学業が優秀だったことからチャンスを掴んでいく。
事業に成功してからは華族をしのぐ栄華を極める。
やはり家柄、血すじより本人の才覚だ。

織田信長は楽市楽座で商業を発展させた。
弥太郎は近代的商業の原型を創り上げた。
その影響は三菱を超えて広がっている。
今なお広く社会で息づいている。
おそらく多くの人は弥太郎の精神とは知らずに。

当の三菱は再び国家的事業をおし進めている。
ロケットや航空機産業などの巨大プロジェクトで。
ただ最近、悪いニュースが続発。
特に自動車では大きく威光を傷つけた。

日本の恥ではなく、誇りになってほしい。
過去の栄光は忘れて、新たな栄光を築いてほしい。
スリーダイヤがダイヤの輝きとなるよう。